なぜだか、手仕事で作られているモノに魅力を感じることはありませんか。

それが、有名な作家の作品などであれば当然のことですが、たとえそれが、名の知れぬ職人さん達が作った単なる道具や、廃棄寸前の古民具、または、無骨で、野暮ったくて、ラフな作りで、垢抜けていない、何か、の場合であっても魅力を感じる場合があります。
そして、その理由がなぜなのかを説明するとしても、なんとなく雰囲気があって、どことなく渋くて、趣があって、個性的で、温もりがあって、などと言うしかありません。

手作りのモノには、ゆらぎが存在している

鉋をかけた後の、まな板

しかしあるとき、ふと見つけた物理に関する文書に、もしかしたらそれも理由の一つなのかなぁ、と思わせるようなことが書かれていました。
それは、『手作りのモノには、機械的に作られた大量生産品には存在しない『ゆらぎ』が存在している。』というような内容のものでした。

そのゆらぎとは、見ている人に心地よさや、癒しを与えてくれるというもので、自然の風や、ローソクの揺れるあかりなどに存在していると言われている『1/fゆらぎ』のことですが、
それがなんと、手作りのモノのビジュアルの中にも存在するらしいのです。

例えば、ペンを使って真円を描くとします、コンピューター制御された機械にペンを設置して線を描いた場合は、完璧な真円になりますが。
人が、フリーハンドの一筆書きで、機械のような完璧な真円を描くのはほぼ無理に近いです。
それがたとえ、ベテランの絵付職人であってもです。
多少楕円ぎみになってしまったり、また微妙に多角形に近い輪になったり、線も多少なりともユラユラしてしまい、完璧ではない線になってしまいます。

しかし、人が描いた線には、機械では描くことの出来ない魅力があります。
それを私たちは昔から、いわゆる『味』と呼んできたような気がします。
例えば、『この壷の形や表面の景色(模様)には何ともいえない味わいがある。』などと表現しますが。その『味わい』こそが『ゆらぎ』のことではないでしょうか。

竹のザルと、陶器のカップ

例えば、ユニットバスよりも、タイル職人が貼ったタイルの壁の風呂。
大量に生産されたプラスチック製の雑貨よりも、手仕事によって作られた木製の雑貨。
型で押し出して作られたアルミサッシよりも、建具職人が作った木の扉。
型で大量に作られたプラスチックの椅子よりも、職人によって作られた木製の椅子。
型で打ち抜いたステンレスのスプーンよりも、彫刻刀で彫られた木のスプーン。
全て同じ形状のプラスチック製のカップよりも、一つ一つ微妙に形の違う陶器のカップ。
型で作られているプラスチック製のまな板よりも、手作りの木のまな板。
ホームセンターに安く大量に売っているプラスチックのザルよりも、職人が編んだ竹のザル。

例えたら限がありませんが、これらの後者はおおむねコンピューター制御された機械によって描かれた線では構成されておらず、人によって描かれた、多少ゆらぎのある線で構成されています。
そして、それらのビジュアルを褒めるときには、よく、味のある〇〇〇、と言っているような気がします。

人は自然に接すると、安らぎを感じることがありますが、それは、自然の中ではゆらぎが普遍的に見られ、そのゆらぎに接するからでもあるらしいのですが。
手仕事で作られた味わいのあるモノに接した時にも、なんだかホッとしてしまうときがあります。
その場合も、『味わい』という『ゆらぎ』に接していることになるからかもしれません。

人は優れたデザインのモノに対して魅力を感じ、そのモノに惹きつられることはよくあることです。
そして、その魅力の感じる箇所は皆それぞれ違うと思いますが、
どうやら、手作りのモノのビジュアルにはゆらぎが存在しており、そのゆらぎによって、知らず知らずの内に癒されているようです。


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